双条光華のエンタメ一刀両断!でタグ「子役」が付けられているもの

ベースボールキッズ

ベースボールキッズ

【監督】 瀧澤正治
【キャスト】 落合扶樹、大高力也、佐保祐樹、ほか
2003年、全96分
公式サイト

 設定が面白いわけでもない、展開が新鮮なわけでもない、革新的な映像表現があるわけでもない。だから、凡庸とかありきたりとか陳腐とか、そんな一言でくくってしまうこともできる。でも、この作品は、表面的な新奇さを狙った作品ではない。意識的に王道的な物語を描くことで、少年たちの青々とした成長をストレートに伝えようとした作品なのである。小手先だけの変化球よりも、磨ききった直球の方が良い。投げられた直球は、観た者の心にまっすぐ届く。そんな作品なのである。

 千葉のローカル局、千葉テレビ放送による初めての映画事業として制作された本作は、監督にとっても初めての映画だった。そしておそらく低予算の中で創られた。そんなウィークポイントを感じさせないような、とても良い作品だと思う。もちろん、完璧とはいえない。いや、細かいことを言えばマイナスの方が多いのかもしれない。しかし、観終わってみると、いつのまにか、暖かい気持ちが心に宿っていた。細部がいくら巧くても、全体としてはつまらないという作品も多いが、本作はその反対で、細部の荒さは目立つものの、全体としては印象深い傑作である。

(以下、ネタバレあり)

 物語の展開は非常に典型的で、映画などを見慣れた大人にとっては物足りなく感じるかもしれない。また、おそらく予算や時間の都合もあると思うが、描ききれていない部分が多く、消化不良という感じもする。逆に言えば、無駄が多いということかもしれない。

 そのひとつとして、親の存在が挙げられる。作中ではいくつかの家庭の親子関係がところどころで描かれる。しかし、そのいずれもが中途半端で分かりにくい。藤井の家庭などがその最たるもので、親とのすれ違いを描いているのだろうが、それを描きたいのならば、もっと時間を割くべきだ。

 私が観た限りでは、親子関係を描く必然性が全く感じられなかった。その関係はどれも描きっぱなしで、子供に与える影響や関係性の変化などが見えてこない。時間的な都合で描ききれないのであれば、はじめから親子関係というテーマを取り入れるべきではないと思う。

 そもそも、親の存在が意味を持つのは、金田の母親に万引き疑惑が勃発した際の下級生たちの対応においてだけである。町田の父が「金田とは付き合うな」と言うシーンなど不要としか思えない。もっと言えば、監督と父母が話し合うシーンも必要ないだろう。野球に限らず、子供のスポーツというのは、親の関わりが大きいものだと思うが、この作品においては、応援席での様子ぐらいで十分ではないかと思う。

 本作は子供同士の関係や成長を中心に据えているのだから、それを描くだけで良い。それだけで十分に魅力的だと思う。むしろ、親という存在を無理やりねじ込んだことで、作品の魅力を減らしてしまっている気さえする。子供たちだけの世界をもっとクローズアップして描いてほしかった。映画に限らず、子供を描く物語というと、何かと親子関係を登場させたがる傾向があるが、本当に描く必要があるとは思えない場合が多いのは残念なことだ。

 次に、私がこの作品のなかで一番納得できなかった点を書いておこう。それは、金田少年の死である。なぜ、彼は死ななくてはいけなかったのだろうか。

 この作品を観終えたとき、私の頭には宮沢賢治の『風の又三郎』が浮かんだ。風と共にやってきて、風と共に去ってゆく又三郎。その存在が金田少年に重なって見えたのである。

 DVDに収録されているメイキング映像の中で、監督の瀧澤正治はこの作品は童話であると言っていた。まさに童話だと思う。でも、だからこそ、金田少年の死というのは納得できない。急いで『風の又三郎』を読み返してみたが、又三郎がいなくなるのは、死んだわけではなく、父親の仕事の都合であった。しかし、金田少年は死んだ。彼が死ぬことに、理由はあったのだろうか。

 童話で死を描いてはいけないとか、そんなくだらないことを言うつもりはない。私が言いたいのは、童話に限らず、物語において描かれる要素は必然性を帯びているべきだということだ。死という大変大きな要素であれば、なおさらのことである。余談だが、文学系新人賞に寄せられる原稿の多くが死を描いているという。そして、それらの多くが必然性の感じられない死であるという。死という大きな出来事を描かなければ物語を作ることが出来ないのだろう。あるいは、涙を流させるための手っ取り早い手段だからかもしれない。そして、そういう作品は落とされる。

 少し話がそれたが、この作品における金田少年の死も、視聴者を感動させるのが目的なのではないだろうか。たしかに、彼の死によって、他のメンバーの気持ちは変化しただろう。だが、それが大きく描かれたわけでもないし、何らかの都合で試合に来られなくなったというだけでも同様の変化は生まれたと思う。それゆえ、私には、金田が死ぬ必要があったとは思えず、納得できないのである。

 金田が決勝戦を前にいなくなるということには必然性がある。作中において、金田が神のような存在として描かれていることは明白であり、そのためには必ず消えなくてはいけないからだ。町田が地蔵に手を合わせたことにより、市原ジャイアンツに降臨した神は、チームのメンバーたちの心に何かを残し、そして去ってゆく。だからといって、『風の又三郎』がそうであったように、金田自身を神秘的に描いてはいけない。あくまでも、神のような存在であり、神ではない。それは感じとるべきもので、他の登場人物たち、そして、我々視聴者たちの心の中の問題である。だから、彼の登場も退場も、どちらも論理的でなくてはいけない。登場は監督の要請の結果であり、退場は死であった。

 金田の家族が全員亡くなったという設定があるために、金田が決勝戦に参加できない理由を上手く用意できなかったのかもしれない。施設で生活している彼の家族の中で、父親だけが生きている可能性があるが、失踪してしまい見つからない、というような設定であれば、その父親が見つかったので、急遽そちらへ行かなくてはいけなくなったなどという理由も考えられる。その理由はどんなものでも良いが、とにかく、彼が死ぬという展開だけは避けるべきだったのではないか、というのが私の意見である。

(ネタバレここまで)

 さて、まだ書きたいことはいろいろとあるが、かなり長くなってしまったので、このぐらいにしておく。どちらかというと批判的な意見が多くなってしまった気がするが、私は傑作だと思っている。それだけに、散見されるマイナスポイントがもったいなく感じられるのだ。

 全体としては心に染みる作品で、繰り返し観たくなってしまう。光を効果的に取り込んだ映像が、どこか神秘的な薫りを醸しだしているのも良い。少年野球という、ありふれたモチーフを幻想的に昇華させた現代の童話をぜひ味わってほしい。そんな気持ちでいろんな人に勧めたくなる作品だった。

 あけましておめでとうございます。いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 このブログを始めたのは、昨年5月。約半年で9万アクセスを超えることができたのも皆様のおかげです。当初は、ほぼ毎日更新しており、内容もドラマの感想が大半でした。各話ごとに感想を書いていたのは、その頃だけで、徐々にドラマの感想が減り、本の感想が増えたような気がします。

 ドラマ自体は、常に5~7作品ぐらいを観ているのですが、書籍に比べて、ドラマのような映像作品の感想を書くのは意外と大変で、いつのまにか遠ざかってしまったという感じです。各話ごとに何かを書こうと思うほど魅力的な作品がないというのもありますが。

 まだ、昨年の冬期ドラマのまとめを書いていないので、年を越してしまいましたが、それだけは書いておこうと思います。それと、今さらですが、昨年視聴したドラマ全体のまとめも書くつもりでいます。

 続いて本の話ですが、読書録によれば、昨年は140冊程度の本を読んだようです。二日に1冊という目標には及ばなかったものの、これだけ読めれば十分かもしれません。問題は、これだけ読んでもなお、買った本の数の方が勝っているという点です。今年は、買う量を減らすのが目標です。

 そして、DVDも似たような状況で、40本ぐらい購入したにもかかわらず、まだ1本も観ていません。テレビドラマとテレビ放送される映画を観るだけで手いっぱい。でも、ちょっと安かったりするとつい買ってしまうので、少しずつ観ようと思います。

 一応、芸能ネタに関しても触れておきます。まず、内博貴の復帰時期が気になりますが、遅くても4月中にはというのが私の根拠のない予想です。また、KAT-TUNのデビューも今年中ではないかと思います。これ以上デビュー時期を延ばすのは危険な気もしますが、修二と彰の「青春アミーゴ」の大ヒットで、デビューしづらくなった(ハードルが上がった)という印象もあるので、ひょっとすると、という可能性も否めません。

 このブログでは特に書いていませんでしたが、昨年は韓流・子役・若手俳優などのブームが見られました。そのようなブームを見ると、芸能関係においては女性が中心であるということを強く感じます。このブログで芸能ネタなどを扱う際には、主に女性の読者を想定して書いているのも、そのような理由によります。特に、ジャニーズ関係は非常に強い訴求力があり、アクセス数が格段に増えます。

 若手俳優ブームに関しては昨年始まったことではありませんが、男性アイドル市場を独占状態しているジャニーズの牙城を崩すための一本の筋道がそこにあるのかもしれません。昨年デビューしたWaTはウエンツ瑛士と小池徹平によるデュオですが、俳優として注目された後のデビューでした。バーニング所属だからということもあると思いますが、「俳優→アイドル歌手」という流れでなければ、ジャニーズの圧力によって、ミュージックステーションには出演できなかったでしょう。

 一方、ヴィジョンファクトリー(一応バーニング系)はあくまでもアイドル歌手にこだわっており、ジャニーズと競合するw-inds.、FLAME、Leadなどはほとんどテレビに出てきません。「アイドル歌手→俳優」を目指しても、自社提供に近い映画や深夜ドラマに出演するのが関の山といった感じです(「デビルマン」などの例外もありますが)。

 ただ、若手俳優も場合によってはジャニーズの圧力を受けるようで、「ごくせん2005」では赤西仁・亀梨和也と共演した速水もこみちの売れっ子ぶりを警戒して、出版社などに圧力をかけているという噂もあります。

 ということで、結局は今年もジャニーズの一人勝ち状態が続きそうです。ちなみに、若手俳優の中で個人的な注目株は落合扶樹。今年の活躍を期待するという意味で、名前だけ挙げておきます。

 さて、長くなりましたが、最後に一言。昨年書くべき内容をまだ消化し終えていないまま、新年になってしまい、時々覗いてくださっている方々には申し訳ない限りです。今年も、更新ペースはゆっくりになりそうですが、冷静な視点ということを心がけて、読みやすい記事を書いていくつもりですので、お付き合いいただければ幸いです。

 ということで、今年も当ブログ、および泡坂妻夫マニアックをよろしくお願いしたします。

 私が今一番注目している俳優を挙げるとすれば、それは間違いなく落合扶樹である。

 と、まあ、こういう硬い文体で書きはじめると、ついつい厳しい内容になってしまうので、今回はふにゃらかと書くことにします。敬称略も解除にしましょう。

 あらためて。

 私は最近、落合扶樹くんに注目しています。なんてことを言いながらも、実際には彼の出演作をあまり見ていません。「楽園のつくりかた」と「Pinkの遺伝子」ぐらいかな。二つの作品は毛色が全くと言って良いほど異なりますが(ストーリー等の詳細は省略します)、そのどちらにおいても、彼が演じた役は何かしらの葛藤を抱いた(あるいは、抱くことになる)少年です。これは当然と言えば当然のことで、物語の中心に中学生を据える場合、その年代特有の「悩み」や「成長」を描こうとするものです。。もちろん、これは中学生に限ったことではなく、物語の多くが「悩み」「成長」「恋愛」などの共通した要素の組み合わせで成り立っています。この話を続けていくと長くなりそうなので、バサッと切り上げますが、物語って大きなパーツ自体はそれほど大差ないんですよね。

 で、落合くんの話に戻りますが、彼は「悩み」を表現するのがとても巧い役者だと思っています。「悩み」すなわち「心の葛藤」を描く場合、小説であれば、それを文字にすれば良いのですが、演技の場合はそうもいきません。もちろん、モノローグという手はありますが、それは抜け道のようなもので、あまり多用されると空々しさを感じさせてしまいます(効果的なモノローグもあるので、モノローグ自体が悪いというわけではありませんが、不自然な印象を与える場合も多いように思います)。

 また横道にそれてしまいましたが、落合君は「心の葛藤」を表情で伝えてくれます。文字化・音声化せずに伝える技術というのは役者にとって欠かすことの出来ないものだと思いますが、それをしっかりと身に付けているという印象を受けるので、彼に注目しているのです。あの憂いある表情は本当に魅力的です。声も良いですしね。

 というのが前置きです。落合くんをご存じない方もいるだろうと思ったので書いたのですが、長いですね。反省。

 さて、この記事の本題は、本日行われた「スマイルモンキーファン感謝DAY 第2部:落合扶樹トーク&握手会+「蒼のシテン」上映会」というイベントについて書くことです。私がこのイベントを知ったのは昨日。都合をつけて、急遽参加してきました。まさに滑り込みセーフ。東京在住ゆえになせる業です。

 本当はイベントレポを書くつもりはなかったのですが、公式サイトの掲示板などを見ると、遠くて来られない方や、雪の影響で来られない方、体調を崩して来られない方など、残念な思いをされている方がたくさんいらっしゃるようなので、そのような方々に少しでも雰囲気が伝えられればと思い、書くことにしました。

 とはいっても、そのつもりでいなかったので、メモもとっていませんし、ビデオ撮影・音声録音などもしていません。なにせ、カメラさえ忘れて、写真撮影の時間を虚しく過ごしたぐらいですから(どなたか、撮った写真を送ってください......)。そのため、細部までは書けませんし、間違いもあるかもしれません(そして、無駄が多いです)。大まかな流れと雰囲気ということでご了承ください(教えていただければ、加筆修正いたします)。

 書き方はについてはそれなりに悩みましたが、とりあえずおふざけはやめて、ちゃんと書きますので(※注:「ちゃんと」には個人差があります)、感想などお聞かせいただけると嬉しいです(読んで不快になるということはないと思いますが、もしそのような気持ちを抱かれたら申し訳ありません)。第二の前置きも長くなりましたが、本題のイベントリポへと移ります。

★★★★★

 「寒波吹き荒れる」そんな見出しが新聞を支配した日。吹き荒れる寒波を吹き飛ばすほどの熱気が吹き出てくる場所があった。活火山の火口。それもそうかもしれない。でも、ほかにもあった。東京都新宿区市谷本村町、「市区町村」が揃った住所、防衛庁がある住所、日本の中で最も安全な気がする場所、でもテロの標的になりやすいであろう場所、まさにその防衛庁の目の前、そこにあるビルの地下、そのライブハウスから、あのマグマは吹き出していたのだ。

 何と大げさな書き出しだろう。でも、それを認めさせるぐらいの熱気は確かに存在した。日曜日の市ヶ谷は人通りが少なく、刺すような寒風は肌ばかりでなく心にまで突き刺さるかのようだ。だが、そんな寒さをものともせず、イベントの開場を待つ人々は心を弾ませていた。映像でしか見たことのない、憧れの落合扶樹くんに会えるという喜びが胸を満たしていたからである。

 開場が近づくと共に、徐々に人数が増えてきた。5、60人にもなるだろうか。落合くんと同年代の女性たちが多いが、小さい子を抱えたお母さんや、落合くんのお母さん世代の方、さらには男性の姿も散見され、年代・性別を問わぬファン層の厚さが感じられる。

 そして、開場。ドリンク付1500円という非常に良心的な価格を設定して下さった、スマイルモンキーのスタッフの方々の視線に見守られつつ、順に入場するファンたち。その手には、整理券とドリンク券、そしてなぜか折り紙が強く握り締められていた。

 前から順番に席が埋まってゆく。席に荷物を置くと、財布を片手に物販コーナーへと集まった。イベント限定販売の「落合扶樹 Private DVD」を購入しているのである。そのDVDは一枚一枚直筆のサインが書かれているというファン垂涎の一品だ。

 そうこうしているうちに、人の動きも落ち着き、いまかいまかと開演を待ち受ける臨戦態勢へと変化した。ある種の緊張状態がその場に渦巻き、静寂が生まれる。と、その静寂を破る声が!司会の登場である。司会の方のちょっとしたトークで雰囲気が暖かくなり、そして、「蒼のシテン」の上映が始まった。富山だけで放送されたこの1時間ドラマの主演は、もちろん落合くんだ。ファンたちはみな、身動き一つせず真剣にスクリーンを見つめている。スクリーンが微妙に揺れていたのは、見つめられたスクリーンが恥ずかしがって身をよじっていたのだろうか。だとしたらこう言いたい。「スクリーンくん、みんなは君を見ているんじゃないんだよ。君に映った落合くんを見ているのだよ」

 上映終了と共に、微妙な拍手が起こる。拍手のタイミングというのは難しい。そんな拍手で居場所を失ったかのようにスクリーンが上がっていき、ステージには椅子が用意された。落合くん本人の登場である。

 響き渡る拍手を身にまといながら登場した落合くんは、一言で言えば「細長い」。「すらっと」という擬態語は彼のためにあるのではないかというぐらいに「すらっと」した体型で、おしゃれ。カッコイイという形容詞を映像化したら、まさにこんな感じだろう。感嘆のためいきが聞こえてきたのも当然である。

 そしてトークタイムが始まった。司会者と落合くんによるライブ感たっぷりのトークに誰もが魅了されていた。撮影における苦労話やプライベートにおける苦労話(原宿での災難?)から、服の話まで、途中に微妙な間を挟みながらの魅力あふれるトークにファンたちの笑顔は絶えなかった。

 続いては質問タイムだ。落合くんが番号を引き、同じ番号の整理券を持っている人が直接質問できるという抽選型質問タイムである。スポーツやギター、スポーツの話では饒舌だった落合くんも勉強の話になると(以下略)

 幸運な4人が質問した後は、新たな質問タイムとなった。今度は、入場時に配られた折り紙に質問を書き、それを落合くんに向けて投げ(つけ)て、彼に拾われた質問が読まれるというものである。会場中から、丸められたり、たたまれたり、鶴を折りかけたりした折り紙が投げつけられる様子はまさに「帰れ!と言われている感じ」(落合くん談)であった。そんな不思議な状況の中、3つの質問が落合くん自身によって読み上げられた。

 「子供に付けたい名前は?」という奇抜な質問を弟の珍しい名前を紹介することで華麗にすり抜けた落合くんを襲ったのは続く2つの質問であった。「彼女はいますか?」というど真ん中ストレートの直球にたじろぎつつも、「募集中です」との答えを返した。これがホームランだったかゴロだったかは知らないが、「昔の中島美嘉さん」のような女性が好きということであった(ちなみに、最初のトークタイムでは「口説き方」の話も披露)。

 次に釣り上げられたのは「この質問ヤだ!」と言って読み上げるのを躊躇したほどの大物。「カラオケで歌う得意な歌を歌って下さい」というものである。その場では歌ってくれなかったが、ロックを歌うということであった。

 こうして、質問タイムは終了した。落合くん自身が自分は「天然」であり「ナチュラル」(?)であると発言するなど、いろいろと楽しい質問タイムだった。なお、質問が取り上げられた方々には、来年、「落合扶樹直筆年賀状」が届くということで、当たった方々はとても嬉しそうだった。ちなみに、それが「お年玉付き年賀はがき」の抽選に当たる確率が高くなるからという嬉しさでないことは自明である。

 そして、撮影タイムが訪れる。上品なファンばかりで、場が紛糾することもなく、みんな落合くんをファインダーに写し込むことに成功した様子だった。そこで使われたカメラがデジカメや携帯であったことに時代の変化を感じた人などいなかったことだろう。それぐらいに熱中していた。

 5分程度の撮影タイムも無事終わり、ステージ上での企画は終了。次いで物販コーナーでツーショットポラの撮影が行われた。落合くんと並び、ポーズを決めてのポラロイド撮影は素晴らしい記念になることだろう。その際にプレゼントを渡したり、ちょこっと話をしたり、そして握手をしたりとそれぞれが夢のようなひと時を満喫していた。「熱は温かい方から冷たい方へと流れるから、自分の手が冷たければ、落合くんの熱を受け取ることができる!」などというおかしな計算をした人はいないだろうが、彼の手の暖かさはそれぞれのファンの心にまで到達したに違いない。

 その撮影が終わったところで、落合くんが一言のあいさつをして退場した。ファンたちも三々五々に会場を去り、イベントは幕を閉じた。その間約二時間。あっという間の二時間だった。遠く北海道からいらした方もいたが、みな充実したその二時間を胸に、帰路へとついたことだろう。刺すような寒さを感じなくなるくらいに暖かい時間を過ごせたのだから。

「夏休みはありません!追いつめられた子供が引き起こした悲劇と奇跡!!」

 阿久津真矢(天海祐希)の独裁的かつ抑圧的な教育に成果が見えはじめた。彼女の目的は、自分の意志を持ち、いかなる時もそれに基づいて行動する人間を育てることだと、前回の感想に書いた。神田和美(志田未来)はその力を発揮しているし、真鍋由介(松川尚瑠輝)も彼女の影響を受けて、力強くなった。

 そして、今回、そこに新藤ひかる(福田麻由子)と馬場久子(永井杏)が加わり、反真矢勢力(実際には真矢の意図に沿っている生徒たち)は徐々に拡大している。終盤でクラス全員にまで拡大したかのようにも見えるが、それは虚構の連帯であり、容易に崩れてしまうだろう。

 あの場面で、真矢へ反発した生徒の大半は、周囲の状況に流されたに過ぎない。そこには自分の信念のなど微塵もなく、ただ自分に有利であろう勢力に逃げ込んだだけだ。真矢が個人面談を行い、飴と鞭を巧みに使うことで、あっけなく元の状況に戻るに違いない。

 真矢にとってみれば、まだ目的が達せられていないわけだから、ここで引き下がることはできない。彼女は徹底的に生徒を押さえつけることによって、全生徒を真に強い人間へと育て上げようとしているのだ。その道は果てしない。

 もしも、数名の生徒のみが精神的な強さを身に付けたとしても、その一方で、強者に追従するだけの人間を大量に生み出してしまっては、真矢の教育は大失敗である。彼女の教育が成功するのは、全生徒が強くなったときだ。彼女は失敗の許されない、厳しい状況を自ら生み出し、果敢に挑戦しているのだ。

 だから、夏休みといえども休むことさえしない。真矢の教育方法に対する批判も多いが、並木(内藤剛志)や天童(原沙知絵)のように、自分の遊びを優先させる教師こそ非難されるべきであり、それは、週休2日制で休暇を増やし、ゆとり教育で授業を外部に丸投げするような、現代の日本の教員についても同様である。真矢は休みであっても、生徒の行動を監視し(見守り)、生徒の変化を見逃すこともない。そういう裏の努力があってこその女王なのだが、女王とは言うものの、あのような授業を行っている彼女こそが一番辛く苦しいのではないだろうか。

 この見方が正しいとした場合、たしかに、真矢の目指すことは分かるし、そのための教育法として、行き過ぎた部分もあるとは思うが、概ね納得できる。だが、一般的にみて、この教育が成功する確率は極めて低い。彼女の抑圧に反発する力を持った生徒が1人もいなかったとしたら、有力者に媚びへつらう人間を大量生産するだけだからだ。神田が抵抗できたのは、真矢の教育のためではなく、彼女自身の元来の力強さゆえである。彼女のように強い生徒がいたからこそ、真矢の教育は成功に近づいているが、そういう生徒がいなければ、元も子もないというのが、真矢の教育における一番の問題点だろう。

「友達も消えた…もう学校なんて行かない!先生どうして私をイジメるの」

 このドラマもそろそろ折り返し地点か。真矢(天海祐希)に抵抗する和美(志田未来)の孤立無援の状況は、由介(松川尚瑠輝)および、彼の祖父(祖母?)きょうこ(篠井英介)により打破された。

 和美と由介の団結により、真矢と対立するための基盤は整ったように思う。現時点で、すでに第6話が放送されているが(未見)、5話を観て感じたのは、真矢はやはり教育者であるということだ。前回の感想で、真矢には教育者としての理念などないのではないかと書いたが、それは誤りだったらしい。

 真矢が育てようとしているのは、どんな厳しい状況に置かれても、決して負けることなく、また、自分の信念を曲げることなく戦うことのできる人間なのだろう。それは彼女自身のような人間であり、クラスの中で最も有望なのは和美である。真矢は和美を一番評価しているに違いない。だからこそ、彼女には強く当たるのだ。そして、幾度となく降伏を促す。それは、和美の精神力をテストするためでもあり、彼女を強くするためでもある。

 徹底的に生徒のことを調べ上げ、知り尽くしている真矢が、財布を盗んだ真犯人を知らないはずはないし、和美が溺れた原因に気付かないわけもない。にもかかわらず、彼女に救いの手を差し伸べないのは、彼女に期待しているからなのだろう。

 しかし、真矢の教育は、和美や由介を強い人間にすることには成功しているかもしれないが、同時に恵里花(梶原ひかり)や馬場(永井杏)といった、精神的に弱い生徒を放置し、あるいは、真矢自身が生み出してしまってさえいる。彼女たちは今後どうなって行くのだろうか。まさか、このままということはあるまい。今後の真矢の行動に注目しなくてはいけない。

「母の愛」

 巧(成宮寛貴)、澪(ミムラ)、佑司(武井証)の三人家族は、また家族らしくなった。このように、毎回少しづつ本当の家族に戻ってゆくのだろう。このスピードでいくと、完全に打ち解けたときに別れが訪れるのかもしれない。

 このドラマを見ていると、幸せになる過程こそが幸せなのかもしれないと思う。現在放送中のドラマ「幸せになりたい!」を見ていても同様のことを感じる。家族が形作られてゆく過程は、少しずつ幸せになる過程であり、その小さな幸福の連続が実は何よりも大きな幸福なのかもしれない。

 本作の三人は、幸せそうでありながらも、少しづつ負の部分を背負っている。その面は時々しか描かれないが、そういう負の部分があるからこそ、家族との生活がより豊かなものになり、また、家族の結びつきを強めているのだろう。そして、そのマイナス面は家族の力によって少しづつ薄らいでゆくのではないかと思う。

 まだまだ、中盤に差しかかったぐらいだが、これからの三人の変化が楽しみだ。同時に、巧と澪の過去の物語も気になる。他にも謎が多いので、楽しみに見ていきたい。

 ところで、巧の回想シーンの中で、澪の名前の入った封筒が陸上部の人気選手の封筒の束の中に紛れていた。あれは、なぜなのだろうか。澪は巧のことを好きなのだろうから、四葉のクローバーは巧だけにあげたのだと思うが、人気選手にも封筒を渡したのはなぜなのだろう。きっとあの中には四葉のクローバーはないだろうけれども、好きでもない相手にプレゼント(手紙?)を渡すとは思えない。何か理由があるのか。それとも、彼のことも好きなのだろうか。

「みんなにドロボウと言われてクラス崩壊・犯人探し先生友達を返して!!」

 前回の感想の中で、このドラマは社会主義社会をクラスにおきかえて、そこに住む人間が抵抗する過程を描いたものなのではないか、と書いた。現時点でも、まだそのような見方は成立するが、さすがにそこまでの飛躍はなさそうだ。ただ、真矢(天海祐希)が完全悪であるという見方には変わりない。

 真矢の言っていることは、批判する余地がないぐらいの正論である。しかし、その正論が常に正しいとは限らない。正論というのは、状況によって変化する。だが、真矢の主張は臨機応変に形を変えるものではなく、絶対的なものであり、不変だ。だから、その主張は、たしかに正しいのだが、はたして、教育現場においても正しいと言えるだろうか。今のこのクラスの中でも正しいだろうか。私は、そう思わない。彼女が行っているのは、教育ではなく、統制であり、矯正である。

 それが如実に現れているのが、進藤(福田麻由子)への仕打ちである。彼女は成績優秀であるにもかかわらず、真矢に逆らったという理由だけで、虐げられている。良識ある教育者であれば、優秀で友人想いの彼女を潰すようなことはしないはずだ。

 これに関する真矢の主張は、「目上の者にはちゃんと従うこと」というものである。しかし、これは詭弁に過ぎない。彼女が本当にそう信じているのなら、彼女自身、なぜ学校で最も偉い校長(泉谷しげる)や教頭(半海一晃)、あるいは学年主任(内藤剛志)に従わないのか。取るに足らない存在なのかもしれないが、少なくとも学校組織の中では目上の者である。彼らに従わないのは不自然だ。

 また、今回の物語の中では、真矢による強硬的な犯人探しの結果、無実である神田(志田未来)が犯人扱いされることになってしまった。この状況から、真矢の理念の欠陥が浮かび上がってくる。先述したように、彼女は一般的な正論を主張しているに過ぎず、その正論を微塵も疑っていない。その正論を行使したことによってもたらされた状況を的確にとらえ、判断することができれば、自分の言動の誤りに気付くだろう。しかし、彼女はまるで狂信者のように、一つの思想を信じて疑わない。そのために、正論とは思えない正論が生まれてしまっているのだ。

 結果的に犯人となった神田は、他の生徒たちのいじめの的になってしまう。これに対する真矢の対応によって、彼女の真意がうかがえるかもしれない。もし、自分に逆らった生徒であり、罪を犯した人間(実際には違うが)であろうとも、いじめをやめさせるならば、教育者としての自覚があるのだろう。逆に、いじめを止めなかったとしたら、彼女は教育者とは言えない。その場合、ひょっとすると、自分に向けられた反発心を解消するために、神田といういじめ相手の存在を容認してしまうかもしれない。そうなれば、彼女の意識が教育に向いていないことが明らかになるだろう。

 ところで、彼女は、なぜ、教育者になろうと思ったのだろうか。彼女が教育者であるならば、自身の信念に基づいた教育を行っているのだろうから、現在の教育に疑問を感じて、教育者になることを目指したのかもしれない。

 だが、彼女が教育を目的とせずに、教育者になったのだとしたら、それはどういう理由からだろう。一つの可能性にすぎないが、彼女は一般社会からはじき出された落伍者なのではないか。つまり、彼女は性格の欠陥ゆえに、社会生活に躓き、自身の主張を最も強く推し進められる場所として、学校を選んだのではないか。一般社会では権力者になれなかった彼女は、自分が絶対的な権力を持った「女王」として君臨するために、教員となったのではないか。最も生徒を操りやすい、小学校の。

 彼女は信念を持った教育者ではあるものの、その信念が教育にはふさわしくない、つまり、誤った信念をもとに教育を推し進めている教師であるという、真矢に対する好意的な見方もあるだろう。確かに、「誰にでも間違いはある。それは教師でも同じだ。クラスの中で絶対的権力を持った存在である教師が間違っていたら、こんな怖い状況になってしまうこともある。」というドラマであってもおかしくはない。

 だが、時折垣間見える、生徒に向けた、相手を卑下したような笑みから考えると、彼女はただのサディストなのではないかと思ってしまう。少なくとも、信念を持って教育をしている人間の表情とは思えないのだが、果たしてどうなのだろうか。

 真相が明らかになるまではまだまだあるが、真矢に教育者としての理念や自覚など、これっぽちもないというのが、現時点での私の見方であり、予想である。

「約束」

 巧(成宮寛貴)と澪(ミムラ)の夫婦のキャストに不安を抱いたのが申し訳ないぐらいに良く似合っている。巧と佑司(武井証)の親子の関係も、見ていて微笑ましい。こんなにも互いのことを信頼し、思いやれる親子はなかなかいないだろう。

 映像表現もとてもきれいで、見ていて癒される。それでいて、ストーリーは起伏に富み、冗長になることもない。このように落ち着いて見たくなるドラマというのは久しぶりのように思う。ドラマを見るときは大抵、他のこと(雑誌などを読みながらとか)をしているが、このドラマの場合は、集中して見ていたい。集中して、とはいうものの、肩肘を張らずに「眺める」という感じがちょうど良い。

 今回、巧(学生時代も含めて)と佑司(とくに佑司)の置かれた状況は見ていて辛くなるほどのものであったが、それだけに、佑司の強さと二人の絆の深さが良く伝わってきた。そして、終盤において、その絆の中に澪が加わり、少しづつ家族としての結束が生まれてきたように思う。

 さらに、「家族で隠し事はしない」という約束により、今まで澪に対して腫れ物に触るような接し方だった巧も、夫婦としての接し方に戻りつつあるようで、今後の三人の生活と、それを取り巻く周囲との関係性の変化が楽しみだ。

「授業参観」

 やはり、ただの純愛ドラマとはいえない、謎に満ちた作品で面白い。映像表現も幻想的で、全体的にゆったりと心地よい雰囲気である。そのように緩やかな流れではあるものの、今後の展開を考えると油断していられない。

 当面は、巧(成宮寛貴)、佑司(武井証)、澪(ミムラ)の三人の生活が物語の中心になるのだろう。だが、本作の最大の焦点は、澪の存在である。彼女が本当の澪なのか、そうだとしたら、どうしてよみがえることができたのか。その謎が最終的に解き明かされるのだろう。

 今回、巧と澪の子供時代が描かれたが、これは次回以降も続くようで、何か重要な意味があるように思われる。また、巧が病院に通っていることもポイントになりそうだ。そして、澪が遺した絵本も。

 まだまだ謎が多くて、これからに期待できる。たくさんの謎があるにもかかわらず、まるで、それらが存在しないかのような、ゆっくりとした展開にも無理がなく、成功していると思う。3人の関係の変化と澪の謎を楽しみに見つめていきたい。

「6週間の奇跡」

 最近多い、ヒット小説の再々利用ドラマ。成宮寛貴とミムラという夫婦の組み合わせに不安があったが、意外と無理なく見られた。ただ、秋穂巧(成宮寛貴)と息子の佑司(武井証)の様子を観ていると、親子というよりも、兄弟っぽかったが、まあ、それはそれで悪くはないと思う。

 この手の再利用モノにはあまり期待しないのだが、予想以上によい出来だった。主要人物を紹介し、その関係性を描き、今後のストーリーへの期待を持たせるというのが初回の役割だが、その点うまく押さえていたと思う。

 原作・映画とも未見だが、妻である澪(ミムラ)が残した絵本と現実とがリンクしているというのは、原作通りなのだろうか。ありがちな設定ではあるが、物語の不思議さを強める役割を果たしていて良かった。

 初回を見た段階では、雨の日に現れた澪は本物ではないようだ。彼女が本当の澪でないならば、今後の3人の関係性の変化が気になるし、彼女が本物であったならば、それもまた不思議なストーリーで魅力がある。どちらでも面白そうで、期待できる作品だ。また、物語の不思議さに調和した、幻想的で美しい映像も心地よかった。

 原作者の市川拓司は純愛ブームの中の作家として人気を集めているが、彼は単なる純愛物語を描くのではなく、ミステリや幻想小説などに近い一ひねりを加えることによって、作品の魅力を高めているように思う。この作品もそのような特長が表れているようで、今後の展開に期待したい。

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